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〜南蛮船の歴史〜
長崎の開港は元亀二年(1571年)の初夏、南蛮船を迎え入れた事より始まっています。南蛮船とはポルトガルより貿易の為来航してきた黒船でナウと呼ばれた大型のものと、やや小型のガレアンと呼ばれる帆船がありました。
南蛮船の人達は、当時の人達がまだ知る事がなかった珍しい分物を数多く積み渡ってきました。
このことは、わが国の文化の発展の上に大きく影響を与えわが国近代文化発祥の礎となっています。
銅座町といえば長崎の人は同町の素封家永見徳太郎のことを思い出します。
永見氏は同町の為に傘鉾を奉納し、奉納踊として「長崎五人女」を書き下ろし、演出しています。
それら全てが原爆によって失われ、平成元年、銅座の町名に因んで諏訪神社への銅製燈籠奉納の意を込めて老松の下に燈籠を置き秋の紅葉を配し、幕の模様は同町が昔、海岸であった故に金糸銀糸波涛の図を刺繍した豪快なものであります。
踊りは南蛮船の曳物で、その囃子は山下誠氏の斡旋で東京より西川啓光氏の作曲指導を受け呼び物の南蛮人行列絵巻はポルトガルより長崎県に派遣されておられ るペドロ・デ・アルメイダ氏を始め、鹿児島、大分市からのポルトガルの人達が南蛮時代の服装をつけ、町内の子供連中の先曳にたたれています。
当日はポルトガルに歌がうたわれアメリカの映画社よりも南蛮船撮影の為に来崎されました。
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